エドガーケイシー学園エドガー・ケイシーと学ぶ 魂の学舎



嗜好品ってあなたにとって何ですか?

嗜好品ってあなたにとって何ですか?



 お店にいらっしゃるお客様(普通は、何かしら身体に心配がある方がご来店になるのですが・・・)とお話していると、「毎日、必ずコンビニに行ってお菓子 を食べないと気がすまない!」「毎日、チョコレートを食べずにはいられない」「朝、ミルクと砂糖をタップリ入れたカフェオレを飲まないと不安になる」など など、毎日、必ず、甘いモノを食べている人が多いことに驚かされます。(特に女性に多いですね)

 先日も、毎日、欠かさず何か甘いモノを食べている喘息持ちの方に「身体によくないと思うので、しばらくお菓子を食べるのを控えてみてはいかがでしょう か?」と申し上げたところ、「お菓子のない毎日なんて想像もできない」というお返事。喘息を治すことより、毎日、お菓子を食べ続けることを選択されている のなら、致し方ないことで、私はそれ以上は触れることができませんでした。

 昨年の春に、四国のお遍路道を友人と歩いたときも、友人2名はとにかくコーヒーが飲めないことが辛いとぼやいていました。喫茶店を見つけたら休憩しま しょう、と言ってみたものの、徳島のお遍路道には何故か、喫茶店が1軒もなく、結局3日目にようやくコーヒーにありつけたのですが、コーヒー好きの方に は、この気持ち、十分、理解できるのでしょうね。

 甘いものが好きな方に、砂糖の害をお伝えしても、ヘビースモーカーの人にタバコの害をお伝えしても、あるいはビール好きの人にビールの害をお伝えして も、その害以上に、幸福感や満足感を日々、その嗜好品から得ているのであれば、それを失うことは、きっと生きていることの喜びの1つを失うに等しいことな のでしょうね。

 でも、嗜好品って一体、何なんでしょうね。 何故、人はそれに囚われてしまうのでしょうか? 実は最初、ここのコーナーでは「砂糖」の害について書く予 定で参考文献などを読んでいました。でも、「それなしでは生きている喜びがない。1日が始まらない。あるいは1日が終わらない」と思っているものは、おそ らく個人によっても違っているでしょうし、それほど高価なものでもない「そのもの」で幸せになるなら、それはそれでいいかな、とも思ってしまいました。 (人間の幸せなんて、ホントに些細なもので得られますよね!)

 だけど、もっと深く嗜好品のことを考えてみると、嗜好品は「人間の何かの感覚を麻痺させ、一瞬の刺激と一瞬の幸福感を与えてはくれはしても、究極的には 何も得ることがないもの」ではないでしょうか? それが砂糖やアルコールであれば、将来、自分の健康を害してしまうでしょうし、タバコであれば、日々、廻 りの環境も汚しています。

 さらに、普段は気づきませんが、「毎日」そういった嗜好品が必要な人は、自分の中にある不安感や満たされてないものを埋め合わせする安易な手段として、 その嗜好品を得ているということも考えられませんか? 厳しい言葉でいうなら「つまらない単調な毎日から得られない刺激を得たり、見たくない自分の弱さや 取り組まなければならない問題から逃避するために、無意識に嗜好品を摂取して、一時の満足感を得ている」 

 もしそうなら、その心の空虚感が埋まらない限り、嗜好品を止めることはできないでしょうね。どんな嗜好品でも、依存し続ければ、それは麻薬と一緒で、中 毒症状になります。麻薬の禁断症状までいかなくても、それを止めれば身体はすぐに反応していきますし、精神的にも不安でたまらなくなってしまいます。

 もし、あなたに「それ無しには不安になってしまうもの」があるなら、いったい、それを得ることで、何を埋め合わせしようとしているのか、何から逃げてい るのか、じっくり考えてもいいかもしれません。そして、試しに、それ無しに生きてみてはいかがでしょうか。それ無しに生きてみると、案外、心の開放感や自 分への自信を取り戻せるかもしれません。それに金銭的にずいぶん楽になるでしょう。

 一杯のコーヒーを楽しむには、心の余裕がないとできないことでしょうし、それは素晴らしいひとときです。でも、その一杯のコーヒーが無いと、あなたが何 も手につかなくなるほど不安になるなら、それは不幸なことです。憑依って霊的なことによく使いますが、「それがないと、自分は十分でない」「それがないと 満たされない」なら、すでに何かに憑依されてしまっています。 自分自身の心や身体を「それ」に明け渡してしまわないように、取りつかれてしまわないよう に、この春、心と身体を整理してみてはいかがでしょうか?
              2002年2月

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